ふ~、づがれだ!
どさ回りのような取材旅から帰ってきた。
真夜中の満員電車に乗って、
飲みかけの酒(“爽やか、土佐生まれ 室戸海洋深層水使用”『ゆず酒』)とか、
京都で買いあさった手ぬぐいやら、ぽん酢やら、かわいいキャンドルやら
洗ってないパンツや靴下やら、とにかく重いデイパックを背負って、
笹塚の駅に降りたときは、ほんと
「ふぅ~、やれやれ」って感じで。
あったかいお風呂に入って、
J-WAVEの流れる部屋でこたつに入っていると、
犬っこ一匹待ってなくても、ここはほんとうに
いまの私が帰る場所なんだなぁ・・・と思った。
旅もいいけど、陳腐な日常もいいなぁって。
もちろん、旅はしんどかったけど、楽しかった。
「人は出会うべきときに出会うべき誰かと出会う。」
最近の私の持論? のような陳腐フレーズ。
今回は仕事の旅だったけど、
それでも、会えてうれしいなぁ・・・と思う人が何人かいた。
高知のとある過疎の村では、
材木運搬用の超大型トラックのおじさんに
自転車ごと拾ってもらった。
「農協までいくから乗ってけ」って、
おじさんのほうから声をかけてくれたのだ。
その人はその3時間ほど前に手前の集落で軽ワンボックスに乗っていて
「あんた、さっき千本山登っとったやろ。
登山口に自転車が停まってるの見たき。
ひとりで山なんか登ってさみしくないんか」
と話しかけてきたおじさんだった。
ひとり旅をしていると、
「もうほっといてくれ!」っていうくらい、この手の質問を受けるので
そのときは(またか・・・)と思い、すご~く適当に答えた。
「いや~、鳥もいっぱいいたし、全然楽しかったですよ。
おじさんは千本山、登んないんですか」。
「そりゃぁ登るよ。でもいつも仲間と一緒で、
ひとりではさみしくてよう登らんなぁ」
まぁね。
ひとりより確かにふたりや気の合う仲間と一緒のほうがそりゃ楽しいかもしんない。
でも、ひとりで山を歩くのもいいもんですよ・・・・
といいたかったけど、やせ我慢のように聞こえそうだからいわなかった。
そんなおじさんでも
「次の集落の農協まで」という期限付きの車中で
孫の話とか、都会で働いてた話とか、
そういう話をぼんやり聞くのが私は好きだ。
ひょっとしたら、
「そういう話をぼんやり聞いて『へぇ~、そうなんですか』と相槌うってる私」
が好きなだけなのかも知れないけれど。
「自転車ごとヒッチハイク」は、
日本縦断中にはじめてやったのだけど、
乗せてくれた人のことは、全員くっきり覚えている。
名前や、何を話したか細かいことは忘れても、
その人がどんなやり方で
私の自転車をクルマに積んでくれたかってことは
不思議と忘れないのだ。
歩きの旅人ひとり拾うことでも、今の時代すごく勇気がいることだろうに
自転車の旅人を
「お前、そんないい自転車あるならとっとと走ればいいやろ」
なぁんていわず、坂の途中で拾ってくれる、
そういう物好きな人が私はほんとうに大好きだ。
「もう自転車はうんざりっ!」
と泣きたい気分のときに彼らのクルマに乗って、
(その多くは目線が高いトラックなのですごく新鮮!)
自転車だったら何10分もかかりそうな山道を
びゅんびゅん走り去りながら
「やっぱ、クルマは早いですねぇ~!」
と陳腐な感想をついもらしちゃう瞬間とか、
(やっぱり、この景色は自力で走って見たほうが感動したかなぁ)
と、どっかで「ラクしてしまった」引け目を感じるときとか、
どこかの場所で自転車ごと降ろしてもらい、
ほんの一瞬だけど、親や友達ともしないような会話をした人と別れ、
ちょっと不安になりながら、
でも再びひとりに戻って走り出すときの爽快感とか。
そういう、もろもろの気持ちを含めて
「自転車ヒッチハイク」は楽しい。
拾った人は(っち、へんなババァ拾っちまった)と思っているかもしれない。
ま、わざわざ自転車ごとヒッチハイクしてくれるような人も
大抵はかなり変わり者の「旅人」なことが多い気がするんですけどね。
写真は、京都で一緒に
レンタサイクルで町家めぐりしてくれた
Sさんと、Rさん。
これまた「会えてうれしかった」ふたり。
Sさんとは某誌のブログつながりだったから
初対面とは思えないくらい、
もう何年も前からの知り合いのようだった。
京都の町家にベストマッチなほっこり風、
なのに結構カゲキな発言をするSさんは噂どおりの面白い人だった。
「自転車は、最近、飲酒運転の取り締まりが厳しいんで
飲みにいくときにクルマ代わりの足で乗るくらいですかね~」
といいながら、
重いカメラバックと三脚をかついで誰よりも激走し、
素人の私にはわけわかんない京都のナビまでしてくれたRさんとは
そのうちまた絶対会える、いや会いたいと思う。