「セリーグって、巨人が優勝したんじゃなかったっけ?」
先週まではそんなことをほざいているくらい、
野球にはなんの興味もなかったのに、
名古屋の母からのメールがやたら熱いので、
つい、見てしまいました。
日本シリーズ、最終戦。
見ていると、「中日がんばれーーー!」と、
名古屋人の血が騒いでくる。
非国民・・・ならぬ非名古屋人にならなくてヨカッタ。
8回までノーヒットの完全試合をしたピッチャーを
9回で交替させる落合監督の
「個人の偉業より、チームの勝利」へのぶれのなさに
にわか野球ファンは感動しました。
24歳までどっぷり名古屋に浸かっていた私は、
新聞といえば、中日新聞、
野球といえば、中日ドラゴンズ。
お稽古ごとは、中日ビル。
テレビといえば、中部日本放送(CBC)でした。
高校生のときは、中日球場(今の名古屋ドームに移る前)で
メガホンやらサインボールを売るバイトをしていた。
ヒマな日(主にヤクルト戦)は
焼きそば売りのお兄さんに焼きそばもらったり、
生ビール売りのお兄さんにもらった生ビールを
相棒のよりこと外野席の上のほうに座ってこっそり飲んだり。
いま思うと、すごくおいしいバイトでした。
まだ現役だった江川や王監督にも会ったし、
当時大大大好きだった広島カープの大野豊選手に
ゆーみんのカセットテープとか手渡して、「きゅん!」とかしてた
のんきな高校生でありました。(中日ファンじゃないじゃん!)
その後、働いていた会社は「月刊なごや」という
名古屋の老舗料理屋などに置いてもらう雑誌をつくっていて、
私は、分室の千種区本山にあるぼろい民家で
「ぱれっと」という若者向けのシティコミュニティペーパーというものを
つくっていた。
その民家のすぐ近所に、
落合監督の一家が引っ越してきた。
あるとき、いつものように軽自動車のミラに乗って取材に行こうとしたら、
前方に、ベビーカーを押して散歩中のテレビで見慣れた熟女が・・・。
落合信子夫人だーー!
目が合った途端、私たちが何も言ってないのに
「いつも応援ありがとうございます」と
会釈された。
今日の中継では、その信子夫人もばっちり映っていました。
あれから20年近く経っているのに、
あんまりイメージが変わらないのは、ある意味すごい。
何はともかく、
中日ドラゴンズ、日本一。おめでとう。
うちの母からは、絵文字入りの「万歳」メールが来てました(笑)。