3連休の間に
ずっと観たかった映画を2本観た。
1本めは、『
めがね』。
『かもめ食堂』のキャストとスタッフによる最新作。
かもめ・・・は、ちょっと前、レンタルDVDで観たばっかなんだけど、
「そうか! 私がやりたかったのはカフェじゃなく、食堂だったんだ!」
と、もうすっかり感化されまくりでして。
思いきって年末にフィンランドにも旅しようかな~! と思ったくらい
(たぶん、そういうミソジすぎのオンナは世間にごろごろいるでしょうな)
大好物な映画だったのです。
『めがね』のロケ地は、鹿児島の与論島。
お~、今度は南の島ですか~。
与論島は降りたことはないけど、
沖縄から奄美大島に行く途中で、寄港した。
港でぽつりぽつりと若者が降りて、
それを笑顔で出迎えるじいちゃんたちがいて。
親戚なのかな、働きにきた人かな。
船のデッキから小さなドラマを眺めながら、
できれば私も降りたいな・・・と思ったことを覚えてる。
(そのときは、いろんな島に寄り道するお金がなかったのだ)
『めがね』を試写会で観たあすかちゃん(現在アメリカ放浪中)からは
「う~ん、悪くないけど、『かもめ食堂』のスバラシサはないかも?」
ってな感想を聞いていた。
そうだね、確かに、映画的には『かもめ食堂』のほうが面白かった。
でも、でも、でも・・・・! ですね。
『めがね』の中でサクラさん(もたいまさこ)がやっていた海辺のかき氷屋さんは、
『かもめ食堂』で小林聡美がやっていた食堂以上に、
ワタシが「いつかやりたい夢のお店」の形そのものだったのです。
一体どういうお店か・・・というのは
これから映画を観る人のために伏せておきますが、
立地、規模、システム、客層、雰囲気、
すべてにおいて、
「り、りそうの店がここにあった・・・!」って感じ。
かもめ食堂は、フィンランドでけっこうお金かかってそうな造りだし、
メニューもいっぱいあって私にはちょっと立派すぎるお店だったけど。
サクラさんのかき氷屋は、100万円貯めれば実現できそうな
小さな小さな規模がいい。
その小さな店にすご~く大事なことが詰まっていて。
私には、小林聡美や市川実日子のような旅人を感動させられる
かき氷はつくれない。第一、かき氷屋がやりたいわけでもない。
でも、「きれいな海を見ながら、みんながたそがれる店」というのが、
つくづく私のやりたい店なんだ・・・と思ったわけです。
もちろん、今はまだまだライターとして未熟者だから、
矢吹丈じゃないけど、もっと真っ白な灰になるまで
ちゃんとやり切りたいと思ってる。
だから、海辺のちんぷ食堂はいつか、の話・・・だけど。
もたいさん演じるサクラさんを見て、
「こんな枯れたばあさんになってからでも、お店はやれるんだ」
と、なんかちょっとうれしくなったというか・・・。
「何が自由か、知っている。」は、
この映画のキャッチフレーズ。
私は「知っている。」なんて自信持って言い切れないけど、
まぁ、なんとなくうすうす知っている・・・・んでしょうかねぇ?
2本めは、『
水になった村』。
岐阜県・徳山村で撮影されたドキュメンタリー映画で、
ちょくちょくのぞいている
石田ゆうすけさんのブログを見て、
そういう映画が上映中だってことを知ったのだ。
読んだ瞬間、「これは絶対観にいかねば!」と思った。
(さすが石田さん、おすぎさん以上の説得力だ・・・)
徳山村生まれのイラストレーターAさんとよく仕事をしているので、
世間に無知な私も、徳山ダムの話はなんとなく知っていた。
Aさんはまだ30代前半なので、
たしか小学生の頃に町の移転地に引っ越している。
でも、昨年の夏(・・・つまり、村が水になる直前)は、
故郷の村を思いっきりジブンの中に記憶しておくために
毎月のように東京から岐阜に帰省していた。
子どもの頃みたいに川で遊んだり、
山からとってきた土でやきものをつくったり。
そういう話を聞くたびに、
私は最初のうち気軽に言っていた。
「ちゃんと本にまとめたらいいのに」って。
Aさんがそれで何か作品を残そうとか、
そういう気持ち以前に、
ただただ、故郷の自然を自分の中に焼き付けようと、
必死でいることがわかってからは、
あんまり言えなくなった。
映画『水になった村』の監督は、大西暢夫さん。
この名前、なんか見覚えあるな・・・と思ったら、
ライター復帰したての頃、
『自転車人』のY編集長にいただいた本の写真を撮っていた人だった。
『山里にダムがくる』。
日本各地のダム建設計画地の村を訪ね、
その村の人々の暮らしを記録した本。
「小さな自転車で、小さな村へ。」という連載をはじめるにあたり、
編集長は、「なにか参考になるかもしれないから」
と私に自社で発行した本を手渡してくれたのだ。
私の力量が圧倒的にたりないせいで、
肝心の「小さな村」の連載は社会派ルポルタージュとは真逆の
ただのちゃりんこ珍道中と化しているけれど、
そうだそうだ、はじめる前はこの本を読みながら、
「日本中の小さな村の《いま》をちゃんと伝えたい!」
と私なりにマジメに思っていたのだ。
映画『水になった村』のことは、
私の陳腐な感想より、石田さんのほうのブログで見たほうがいいと思う。
この映画、
たぶん、最後はほとんどの人が泣いてしまうと思うけれど、
ほんとうに湿っぽさとか、感動の押し付けは一切ない。
故郷の村に舞い戻ったじいちゃんやばあちゃんの
ガキンチョみたいな笑顔が、淡々と描かれている。
「小さな村」の取材していても、いつも思うのだ。
人里離れた山村に暮らすじいちゃん、ばあちゃんは、
都会と比べて不便で貧しく、寂しそうな・・・・なんて思ったら大間違いで、
みんな、すごく若々しく、誇りを持って生きている。
山の恵み、川の恵み、
どんな若いやつらよりも経験でそれを知っていて、
「わしら、ここでしか暮らせん」って笑うのだ。
映画には、そんなステキなじいちゃん、ばあちゃんがいっぱい出てくる。
でも、涙が出る。
なんで、「ここでしか暮らせん」じいちゃん、ばあちゃんが、
その生まれ育った村を去らなければいけなかったのか
やり切れなくて、涙が出る。
大西暢夫さんは、ジジババたちの姿を淡々と撮り続ける。
なんと、この映画、15年の歳月をかけて撮られているのだ。
そんな長いこと取材していたら、
ダム建設に対するやり場のない怒りとか、悔しさとか、
ニンゲンだもの、いろんな感情が湧いてきて当たり前だと思う。
でも、マイケル・ムーアとは違って、
大西さんは、怒ったり嘆いたり、自分の主義主張を出したりせず、
ただ、取材し、記録する人に徹し続ける。
そうか・・・・、私がずっとやりたいと思っていたこと、
でも、自分にはできないとあきらめていたことって、
こういうことだったのか・・・・と思った。
ひとりのおばあちゃんちが壊される日の前日、
ばあちゃんの娘さんから大西さんに電話がかかる。
「大西さん、いますぐ徳山村に来られない?
うちを壊すことになって、ばあちゃんが大西さんに会いたがってるのよ」
私はこの場面でいちばん泣いた。
取材する人とされる人の信頼関係って、
ここまで深くなれるのかと思った。
そんな仕事、まだまだ私にはできてない。
だから、あとひとふんばり、もうひとふんばり。
明日には忘れてしまう気持ちだと思ったから、
忘れないように記録しておこう・・・って。
気付いたら4時になっていた・・・ってわけです。
東京はいま、雨が降っている。
グラスには、芋焼酎の「甜(てん)」。
もう氷はほとんど解けてしまった。
長々とすいません。
でも、ほんとうにいい映画なので、
皆さんもぜひ、『水になった村』、観てくださいね。
映画館で買った大西さんの本、
いま読んでる本を読み終わったら、
さっそく読みたいと思います。